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  Vol.1 店名『PET SOUNDS RECORD』の由来

~“異色アルバム”の素晴らしさを伝えたくて作った、
お気に入りの音<ペット・サウンズ>との出逢いの場



もうご存知の方が多いとは思いますが、当店の店名『ペット・サウンズ・レコード』は、
ビーチ・ボーイズが1966年に発表したアルバム『ペット・サウンズ』に
ちなんでつけられたものです。

ビーチ・ボーイズの中心人物であったブライアン・ウィルソンが、
ビートルズの『ラバー・ソウル』を聴いて衝撃を受け、
“子供にも老人にも、万人に好かれるような作品を”
という元々のコンセプトで作り、名付けられたと言われているこの作品『ペット・サウンズ』は、
今でこそ“ロック史における歴史的名作”という評価を受けていますが、
発表当時、はたまた当店がオープンした1980年代には、
まだまだそのような正当な評価は受けていませんでした。

 では何故、当店店長 森 勉はこのような店名をつけたのか? 
 何故、中古盤専門店ではなく、
新品のみの“街のレコード店”という形態の店作りにしたのか?

それを説明するにあたって、【レコード・コレクターズ誌1997年12月号 ペット・サウンズ特集】に
森 勉が寄稿したコラム文を以下に抜粋して掲載いたしました。

 すでにこの号が発売になってから8年以上も経ち、
ビーチ・ボーイズのメンバーだったカール・ウィルソンの死や
ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』の後に当時発売になる予定だった
幻のアルバム『スマイル』が、ブライアン・ウィルソン名義で発売になるなど、
様々な変化もありますが、
当店『ペット・サウンズ・レコード』の基本コンセプト
と考えて読んでいただければ幸いです。




<以下、【レコード・コレクターズ1997年12月号 46~47ページ】より抜粋。一部訂正箇所あり>


『ペット・サウンズ』が日本で発売されたのは、
アメリカより遅れること3ヶ月の1966年8月15日だった。
この遅れは、現在の感覚で考えると遅いと思う方もいるだろうが、
当時の日本盤発売までの期間としては普通と言えるだろう。
ちなみに、当時の洋楽界で一番人気のあったビートルズでも、
イギリスでの発売から2~3ヶ月遅れだった。


 さて、『ペット・サウンズ』が発売された時の日本での反応だが、
まずは放送業界も、出版業界も現在とは状況がかなり
違っていたことを念頭に入れておいていただきたい。
テレビはもちろん何もなし、ラジオもアルバムが出たという
インフォメーションはあったが、シングル曲が多少かかっただけで、
その他の曲はほとんど電波にのることはなかった。
「ユー・スティル・ビリーブ・イン・ミー」や「ドント・トーク」などが
ラジオから流れてくるのを初めて聴いたのは、
76年、山下達郎の「オールナイト・ニッポン」第2部だったと記憶している。


 音楽業界はどうだったか? こちらも寂しいもんである。
レコード会社の担当者が音を聴いて、これは売れないと思ったのか、
広告はゼロ。記事としても、アルバム・レビュー程度。
ビートルズの来日公演の後でページのやりくりが大変だったとはいえ、
ファンとしては情報が欲しかった。
雑誌の人気投票では、ビートルズに次ぐ第2位の座を
いつもローリング・ストーンズと争っていたほどだったのに。


 次にビーチ・ボーイズを以前から好きで応援していた人々は
『ペット・サウンズ』をどう捉えていたのだろう。
どのアーティストのファンの場合も、もう次からはレコードを買うのをやめようか、
という時があると思うが、彼らの場合は、
このアルバムが大きな分岐点になったかもしれない。
サーフィン・ミュージックや常夏のイメージのサウンドを演らなくなった
ビーチ・ボーイズはもういいと思った人が多かったと推測される。
その後の「グッド・ヴァイブレイションズ」の大ヒットで少しファンが戻ってきたが、
『スマイリー・スマイル』でまた多くのファンが離れていった。


 僕の場合は、「夢のハワイ」が彼らのレコードとして初めて買ったものだった。
LPは日本編集の『ベスト・オブ・ビーチ・ボーイズ』ということで、
当時の超ファンからすれば、まだまだといったファンの部類に入っていた。
今思うと、彼らが発表した曲の3割ぐらいしか知らなかったのではないだろうか。
そのことが逆に異色のアルバム『ペット・サウンズ』を
あまり異色と感じずに素直に聴けた要因だったのかもしれない。
といっても、中学3年生にはこのアルバムが持つ
本当の深さなんてわからなかった。
だが、初めて聴いたときから、何か強く引きつけられるものは感じた。
ブライアンが言うところの"ヴァイブレーション"だったのかもしれない。


 70年代はベスト盤『エンドレス・サマー』の話題などで、
彼らの音楽を聴いてくれる人は増えたが、
まだ『ペット・サウンズ』は正当な評価をされているとは言えなかった。
ことあるごとに、このアルバムの素晴らしさを、まわりの人に語りすすめたが、
依然として初期の65年あたりまでのサウンドを支持する人の方が多かった。
そしていつしか、自分がレコード店をやるなら、店名にすれば、
知らない人でも少しは関心を持ってくれるのでは…なんて思い始めていた。


 夢は現実となり、81年に【ペット・サウンズ】という名の店を作ってしまった。


 我々の世代は、"街のレコード店"で育った。
国内盤の新譜中心だが、店長の趣味からちょっと古いものもあり、
気軽に相談にのってくれて、欲しいものがあれば取り寄せもしてくれたし、
これが好きだったらこんなものもあるよ、と教えてもくれた。
ものを買うだけでなく、コミューニケーションがあった。
僕自身もそんな店にしたくて、そのような街のレコード屋
(今ではCDが大半を占めているが)の形態をとった。
現在でもそれは続いている。
廃盤専門店の方がこの名前が似合うかもしれないが、
廃盤とはいっても元は普通の値段で売られていたのだから…。


 88年にブライアンのソロ・アルバムが出て以来、
ビーチ・ボーイズの評価も随分と様変わりしたようだ。
アーティスト・イメージを固定せずに全般にわたっていいものはいい、
という傾向になり、『ペット・サウンズ』が中心に語られるようになった。
 そして遂に音楽誌で単独特集も組まれるといったメジャーさになってしまった。
こうなるとこのアルバムの名前の重さをひしひしと感じる毎日だが、
名前に恥じない精神的なポリシーを大切にしていきたい。


 この名前のおかげで、ただものを売買するだけという場から垣根を越えて、
素晴らしい音楽ファンに出逢えたのがなんといっても嬉しい。
これからも自分の"お気に入りの音〈ペット・サウンズ〉"を探しつつ、
お客さんの"お気に入りの音〈ペット・サウンズ〉"を探す手助けができればいいと思っている。


森 勉(ペット・サウンズ・レコード店長)




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