◆3◆ 心の奥のふるさとへ

正直申し上げると、出発前は、桜の木自体があるかどうかもやや不安でした。
数ヶ月前に移植したものの、厳しい寒さの冬に根つかず、
結局捨てられてしまっている、とか、先日の地震で倒れてしまっていないか、
などと、最悪の事態も想定して出掛けていたので、
まさか、その移植されたばかりの“桜の木”に、
桜が咲いているとは、夢にも思いませんでした。
この日は、寒空の1日で、冷たい風がときおり強く吹いていましたが、
その風になびく、桜の花と細い枝がなんともけなげながら、本当に頼もしく見えました。

ちなみにこの桜の木が植えられているのは、
移植していただいた造園会社・代表の方のご実家、のどかな畑の並びに移植され、
都会の喧騒から離れたその“桜の木”は、まだ包帯でグルグル巻きの状態ながら、
そのゆったりした空気を楽しんでいるようにも見えました。
残念ながら、この日はその家には誰もいらっしゃらず、
写真だけ撮って、ご挨拶できなかったのですが、
この後、伺った造園会社の方のお話しによると、
この“桜の木”は、今はこうやって移植されたばかりでも、
桜を咲かせてくれたけれども、暑いひと夏を越さないと、
本当に根付くかどうかはまだわからない、とおっしゃってました。
さすがに古くからある桜の木、
移植され、たくさんの枝と根を切ったので、
夏の暑さに耐えられず、駄目になってしまう桜の木もあるそうなので、
まだ、油断はできないとは思いますが、
こうやって、場所が変わっても美しい桜の花を見せてくれた“この桜”。
来年もまた美しい桜の花を見せてくれるはず、と強く思いました。

♪ ぼくは炎もくぐりぬけてきたし、雨にもうたれてきた
無くなってほしくなかった陽気な日々もあった
そして、ひとりの友だちも見つけられない孤独な日々も・・・。
でもいつだって、きみとはまた出逢えると思っていたんだ ♪

James Taylor 「Fire And Rain」の歌詞より
寒空の下、冷たい風にうたれながら、
桜の木がそう話しかけてくれているように感じ、
「ありがとう」と桜の木に語りかけるつもりでここまで来たのに、逆に励まされ、
強い生命力、というような言葉では括れない、その“桜の木”の尊さに、
僕は、純粋に“感動”したのです。
おそらくこれからの人生でも、
毎年のように“お花見”をすることになると思われますが、
今年行なったこの“お花見”は、
一生僕のこころの奥に残り、桜の花を見るたびに、
そのこころの奥のふるさとへ、誘ってくれることになるだろう、
と確信したある春の1日でした。
2005年4月某日
<ペット・サウンズ・レコード 森 陽馬>

